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ジェームズ・マカヴォイとアニャ・テイラー=ジョイの演技が光る。『SPLIT (邦題:スプリット)』by M・ナイト・シャマラン

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Split | Trailer & Official Movie Site | January 2017 — His personalities will be revealed Friday. #Split

M・ナイト・シャマランの最新作『SPLIT (邦題:スプリット)』を観てきました。平日の夜なのに劇場がほぼ満員でしたよ。日本公開は5月12日だそうです。

『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』以降のX-MENシリーズでエルゼビアを演じているジェームズ・マカヴォイが23の人格を持つ多重人格者を演じています。それから女子高生役で登場するのはアニャ・テイラー=ジョイ。出演作はまだまだ少ないですが、これから人気になりそうです。

さっそくあらすじと感想を。

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冒頭のあらすじ(ネタバレ無し)

ケイシー(アニャ・テイラー=ジョイ)はクラスメイトの誕生日会に参加した帰り道に、突然車に乗り込んできたデニス(ジェームズ・マカヴォイ)にクラスメイト二人とともに眠らされ誘拐されます。目が覚めるとケイシーらはどこか知らない部屋に閉じ込められていたのでした。デニスに閉じ込められた事が分かると、クラスメイト二人はそこから出ようと企てますが、ケイシーはすぐに動くべきではないと主張します。部屋の外から女性の声が聞こえ扉が開くと、そこに立っていたのは女性の格好をしたデニスでした。3人はデニスは何かがおかしいと気が付き、次に子供じみた言葉で話すデニスを見たことでデニスが多重人格者であることに気が付きます。

ネタバレ無しの感想

まず何よりもジェームズ・マカヴォイ演じる多重人格者の演技が見どころで、人格によって顔も声も巧みに変化させています。後半に、みるみる人格が変わるシーンがあるのですがそこの表情の変化は「マカヴォイすげえな」と思わず声に出したくなります。字幕版だと反映されないと思いますが、声のトーンとアクセントもかなり変化させていて演技の幅の広さをまじまじと見せつけられました。

アニャ・テイラー=ジョイは素なのか演技なのか分かりかねますが、極限状態に陥った女子高生をうまく表現出来ていたと思います。途中からタンクトップになるので、おっぱいをものすごく見せてきますが、こればっかりは眼福としか表現の仕様がなくシャマランに足を向けて寝られません。話が逸れました

ストーリーは間違いなく賛否が分かれるでしょう。特にシャマランの過去作を全く観てない人が観た場合には納得行かない可能性が高いと思います。シャマランを知っている人からすると、こう書くだけで「ああそういうことか」と何となく想像がつくかもしれませんが、そういうことです。

私は賛成側です。ネタバレ有りの感想に詳細を書いていますが、笑うしかないシーンはあるものの大切なテーマが見え隠れしますし、鑑賞後に反芻して考えさせられたので満足しています。

シャマランは他の作品でもそうだと思いますが、過度に「これはこうなのでは」「あれがああなのでは」と予想せずに流れに身を任せて、スクリーンに映し出される事実を淡々と受け止めて行く方が本作を楽しめるかもしれません。詳細は省きますが、シャマランの過去作『アンブレイカブル』は観ておくとより一層楽しめます。

ここから先はネタバレだよ!

結末までのあらすじ(ネタバレ有り)

ネタバレ無しではデニスと書きましたが、人格が変わるごとに名前を変えると混乱しがちなので、本来の人格だったケビンに付して、ケビン(デニス)という感じで書いていきます。

9歳の人格であるケビン(ヘドウィグ)から、3人は得体の知れない何かの生贄になるために捕らえられた事実を聞くことになります。3人は部屋の天井にダクトがあることを発見し、クラスメイトの一人クレアはそこから逃げようと試みますが、ケビン(デニス)に捕まってしまい一人だけ違う部屋に監禁されます。

ケビン(バリー)は心理学者であるフレッチャー博士のカウンセリングを定期的に受けていました。しかし、立て続けに直前にメールをして変則的にカウンセリングにやってきたケビンを不審に思います。博士はデニスかパトリシアがバリーの人格をコントロールしていることを見抜き、何かが起きていることを悟ります。

女性の人格であるケビン(パトリシア)はケイシーともう一人のクラスメイトであるマルシアをキッチンに連れていき食事をさせます。マルシアは機会を見計らってケビン(パトリシア)を椅子で殴った後、逃走しますがこの試みも敢え無く失敗し、パトリシアも別の部屋に閉じ込められます。一人になったケイシーはケビン(ヘドウィグ)にキスをお願いされてそれを受け入れる等して、ケビン(ヘドウィグ)と接近します。

そしてケビン(ヘドウィグ)の部屋に行くことができたケイシーは部屋にあると聞いていた窓が本当の窓ではなく、ケビン(ヘドウィグ)が紙に描いた窓であることに落胆します。何とかして外に出たいケイシーはケビン(ヘドウィグ)からトランシーバーを奪い、応答した人に事実を伝えますが信じてもらうことができません。その間にケビンの人格はデニスに変わり、ケイシーはケビン(デニス)に押さえつけれられて部屋へと戻されます。

ケビン(デニス)はフレッチャー博士との面談の中で、24個目の人格である「ザ・ビースト」が目覚めることを伝えます。しかし、博士はそんなものは存在しないと否定するのでした。その後、ケビン(バリー)から大量のメールを受け取った博士はケビンの家へと趣き、そこでケビン(デニス)と対話をします。ケビン(デニス)が何かを隠していると気がついた博士はクレアが閉じ込められている部屋の扉を開け、その事実に驚きます。ケビン(デニス)は博士を眠らせて、「ザ・ビースト」になるために家を出て駅へと向かいます。

「ザ・ビースト」が生まれそうになる一方、博士の姿を見たクレアは実の隣の部屋に居たマルシアとともに脱出の手立てを探し、ハンガーを見つけたマルシアがハンガーの針金を利用して鍵を開けようとしていました。ケイシーもネジで部屋の鍵をこじ開け脱出に成功、さらに鍵を入手します。ケビン(デニス)が電車に乗り込むと、ケビンの身体に大きな変化が起こり、体つきが筋肉質になり運動能力が格段に向上。「ザ・ビースト」が誕生します。

ケイシーがキッチンへと向かうとそこには横たわった博士の姿がありました。何かが起きていることに気がつき、半開きになっている部屋のドアを開けるとそこには腹を抉られて死亡しているマルシアの姿があり、さらに物音のする隣の部屋でクレアがまさに食べられそうになる瞬間を目撃します。慌てふためき逃げようとしますが、ケイシーの前に「ザ・ビースト」がやってきて絶体絶命。

博士が残したと思われるメモには「Kevin Wendell Crumbと呼べ」と書いてあり、ケイシーが「ザ・ビースト」を本名で呼ぶと、「ザ・ビースト」はみるみるうちに本来のケビンへと戻っていきます。本来のケビンは自分が過ちを犯したことを悟り、ケイシーにショットガンのある場所を伝えて自分を射殺するように伝えます。しかし、本来のケビンの人格も長く持たず次々に他の人格が現れてケイシーに撃つなと話しかけるのでした。そして最終的に再び「ザ・ビースト」となり、ケイシーと追い詰めます。

ケイシーの身体に傷を発見した「ザ・ビースト」はケイシーを襲うのを止めます。「ザ・ビースト」は恐怖に晒されていない人間は「不純」であり滅びなければならないと思っているのですが、虐待の跡があるケイシーを「純粋」だと認めたため攻撃を止めたのです。ここに至るまでのフラッシュバックで明らかになっているのですが、実はケイシーは叔父に虐待されていたのです。

「ザ・ビースト」が立ち去った後、ケビンの同僚である動物園の職員によってケイシーは救助されます。警察はケビンが使っていた動物園の地下の部屋を調べ、女子高生3人の行方不明事件がケビンによって引き起こされたものであることを知ります。ケイシーは叔父へと引き渡され、立ち去ったケビンは人格を変えながら本来のケビンの人格はデニスの支配下となり「ザ・ビースト」の力で世界を変えられると話すのでした。

ダイナーで今回の事件がテレビで報道される中、客の一人が「15年前に車椅子に乗った殺人鬼が捕まったけど名前はなんだったっけ」と言うと「Mr. Glass」と答える声がありました。その声の主はデビッド・ダン(ブルース・ウィリス ※『アンブレイカブル』の登場人物)でした。

ネタバレ有りの感想

あらすじ書くの難しいですね。いかんせん人格がころころ変わるため記憶がはっきりしないところもあるので、順番や事実関係が間違っていたらすいません。

ケイシーの過去の描き方が良くできていると思いました。序盤のフラッシュバックでは幼稚園児くらいの頃に父と叔父と一緒にハンティングに行くシーンが映され、ケイシーはハンティングの経験があることが示されます。序盤でケイシーがクラスでも変わり者であることは分かるのですが、それは親とハンティングに行く少し変わった子供だったからで、さらにケビンに捕まってもすぐに逃げようとしない理由は精神的にタフだからだと思ってしまうんですよね。

しかし後半になってハンティングに出かけた際に叔父にレイプされる、父親が死んだ後に叔父に引き取られるシーンが出てきます。これを見るとケイシーが変わり者なのではなく、虐待を受けているため孤立していること。それからケビンから逃げようとしないのは、叔父の虐待を受けずに済むから、虐待の経験があるため逆らってはいけないという分かっているからだということが示されます。この事実が明らかになることでケイシーへの印象は大きく変わるのですが、段階的にフラッシュバックを挟んで途中までミスリードさせておいて途中から事実が明らかになる。しかもある意味で反対の方向に進むという手法は巧みだと思うのです。

ケイシーが「ザ・ビースト」から逃げた後、叔父が迎えに来たと聞いてもパトカーから出ようとせず、警官に助けを求めようかと悩んでいるようにも見える視線は重いですね。虐待をされていた日常生活に戻ることが幸せなのかどうか難しい問題です。ケビンもケイシーもどちらも虐待によってアウトサイダーとなった点は共通しています。しかしながら一方は虐待によって精神を害して多重人格者になり、一方は我慢を覚えてタフになったという異なる道を歩んだ二人が対峙するのは何の因果でしょうか。

フレッチャー博士の学会の話なんかで予防線は張ってますが、「ザ・ビースト」の設定が唐突だし超人的すぎて笑うしかない部分もあります。電車から飛び降りて線路を疾走するマカヴォイ、道路を走るマカヴォイ、壁を這うマカヴォイなどなど、映画館でも笑い声が上がっていました。シャマラン作品だからしょうがないと割り切りたいところですが、コメディリリーフの場面でもないのに笑えるのは映画の内容考えると少しマイナス点ですね。

オススメするかしないかで言ったらオススメなんですが、絶賛する内容ではありませんでした。

それはそうと、多重人格者の存在を世間に知らしめた映画はヒッチコックの『サイコ』だと思うのですが、それから60年経ってもまだなお多重人格者ネタの映画が作られているのは面白いですね。