『「意識高い系」という病』を読んだぞ!
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先日発売になった、常見陽平さんの『「意識高い系」という病』を読みました。
『僕たちはガンダムのジムである』という本も出していて、そこで語られるのは意識の高い社会人、ガンダムは一握りでその他大勢はごく普通のジムなので、ジムはジムらしくということでした。
今回の『「意識高い系」という病』はそうしたガンダムに憧れしまう社会人も含め、「意識高い系」にフォーカスを当てた、「意識高い系」の分析、批判本でした。
僕が「意識高い系」を苦手な理由
意識が高いというのはそもそもは良いことですし、本書でも努力して進んでいくことを否定しているわけじゃありません。
しかし僕も大概、意識が高い人が苦手です。
個人的な経験や実感レベルからもその理由を考えてみると次の3つがあるのかなと思います。
・軽薄に見える ・話が通じない ・プライドが高い
もちろん意識が高く見えているだけの状態で、その人のことをこうに違いないと決め付けてしまうのは僕の悪い癖ですし、上に当てはまらない良い人だって知っています。
でも、ちょっと鼻につくし、「こいつ何なんだよ」と思うことだって正直あるわけですよ。
意識の高さと軽薄さ
「意識高い系」の人は、前のめりで常にドライブがかかったような状態で頑張っているんですよね。
そういう人と話すと、僕も気になるので取り組んでいることや何がしたいのかを聞くのですが、あんまり良い答えが返ってきたことがありません。
新しい価値を生み出したいとかスキルアップがこれからの社会に必要だとか、確かに正しいっぽい情報なのですが具体性がないことがしばしば。
その程度の考えや気持ちでそれだけ前のめりに頑張っちゃう理由が分からないなと思うと、ひょっとしてこの人は薄っぺらいんじゃないかと感じてしまうのです。
ちきりんみたいに「自分の頭で考えよう」と言いたくもなりたくなります。
そこできちんとした答えを返してくれる人は本当に良いんですけどね。。。
話が通じない
意識が高い人たち自分のフィールドや自分の考えしか言わなくて、話が通じないというのがあります。
集団で話すときも主導権を取りたがり、自分の話をしたがるように思います。
自分が興味のない話には適当な相づちを打って、「それでさー・・・」と自分の話を始めてしまったり。
本書でキャリア論を話すセミナーで趣旨に関係ないベーシックインカムについて質問されたというのを読んで、こういうズレあるあると共感しました。
とりあえずキンチョールのCMを見て欲しい。
自分の世界以外の考えに対して寛容さがない
意識が高い人は、それが100%良いことだと思ってる人が多い印象です。
十分に分析・検討して主張することは歓迎なのですが、分析・検討が明らかに足りない、最低限自分の頭で考えていないのに100%合ってる風で来られると面食らいます。
きっと本人としては欧米では意見を主張しあって、本音をぶつけあうからいいんだと思ってるんでしょうけど、相手の意見が間違ってたとしても受け流したり、やんわり否定するくらいの寛容さとかテクニックは存在すると思うんですよ。
ちょっとその人を否定するような冗談を言って全力で反論されたりもしました。。。
寛容さとか遠慮とかも大切なんじゃないのかなって。
気がついたらただの愚痴に
気がついたらただの愚痴になってしまいましたが、「意識高い系」をしっかりと分析して否定してくれている良書でしたよ!
意識が高い人が苦手な人はあるあるを楽しめた上で考察も参考になりますし、意識が高い人も自分を見直す意味で読むべし。