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NASAの宇宙開発の裏で、差別と戦い活躍した女性たち『Hidden Figures / ヒドゥン・フィギュアズ』

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http://www.foxmovies.com/movies/hidden-figures

アカデミー賞作品賞にノミネートの『Hidden Figures』を観てきました。2/18時点で日本での公開は未定の模様。

英国では公開から間もない本作、劇場は満席でした。アカデミー賞にもノミネートしていますし、米国での評判の高さが英国にも波及した形でしょうか。私の観た回は上映終了後にも拍手もあって満足度も高かった模様です。

実話に基づき、NASAのロケット打ち上げの舞台裏に隠されて知られてこなかった黒人女性たちの活躍を描いています。

www.youtube.com

観る前に押さえておくと良い知識

まずは本作で物語の中心になる宇宙開発の歴史を押さえておくと良いと思います。舞台となる1961年は、ソ連が人類初の有人宇宙飛行に成功した年でアメリカ合衆国が後塵を拝していた時期です。その中でアメリカも有人宇宙飛行を成功させようとNASAが奮闘していました。

宇宙開発の年表 - Wikipedia

それからもう一つは、人種差別の歴史。1961年はまだ人種差別が根強く残っていた時代でジム・クロウ法が有効でした。有色人種Coloredと白人はトイレも水飲み場も違うし、バスに乗る際Coloredは後ろに乗らなければならない等目に見える差別が当たり前とされていました。

本作のテーマはまさにこの差別の歴史なので、どのような時代だったのかを予め知っておくとより理解が深まると思います。私は観る前にたまたまBuzzfeedの以下の記事を読んだのですが、映画を理解するにあたって参考になりました。

www.buzzfeed.com

それから男女差別もテーマになっていて、NASAで宇宙開発のヘッド部門とも言えるスペース・タスク・グループ活動しているのは男性ばかり、会議に女性が参加することを気にする場面もある等、男女差別が随所に現れます。

いわゆるウーマンリブ運動がアメリカ合衆国で始まるのは1970年代で本作には直接関係ないのですが、アメリカ合衆国ですら女性の仕事が女性だからという理由で制限されていた時代であることは念頭に置いておくと良いと思いました。

一点注意なのは、Wikipediaによれば、モデルとなった彼女たちが活躍した年代にズレがあったり、NASAは1961年時点で既に差別を撤廃した運用を行っていたりと、本作があくまで実話を元にしたフィクションということです。そのため現実との齟齬は多少あるみたいです。映画の素晴らしさには変わりありませんけどね。

感想(ネタバレ無し)

宇宙開発はおまけと言うと語弊がありますが、アメリカ合衆国初の有人宇宙飛行に成功したフリーダム7号の打ち上げ・帰還成功可否よりも、そこで働く3人を通じて見える差別の状況と戦いが主なテーマです。

主人公のキャサリンが白人男性しか居ない(白人女性が1人、庶務としては働いている)スペース・タスク・グループに配属された際に、白人男性たちがキャサリンを見る目だったり、その後の態度はとても差別的なのですが、その当時の感覚ではおそらくそれが普通だったのだと思わせる演技や演出がうまくいっていました。「人間には欠かせない、とある生理的活動をきっかけにボスがある重要なことに気がつく」シーンは、特によくそれを表していて唸るものがありました。

その後、とあるアクションはあるものの、白人男性たちが考えを改めて差別が解消されるわけではなく、物語が進んでいく中で彼女たちは結果として認められます。決して差別をしてきた人たちとめでたく和解するわけではありません。このあたりは過去の歴史を美化して描かずに、淡々と3人から見えただろう景色と当時の白人男性たちの考えをきちんと切り取っているように思えました。キング牧師や襲撃事件もニュースという形で劇中に出て来るのですが、大々的に事件を扱うのではなく当時生活した黒人の目線から描いていて良かったですね。

私自身は世界史の授業で学んだ、キング牧師や公民権運動など以上のことを知らなかったですし、きっと今を生きる多くのアメリカ人にとっても忘れられていただろう、黒人差別も男女差別も当然という環境下で耐え難きを耐えながらも能力を発揮した黒人女性たちがいた事にフォーカスした作品です。このトランプ大統領時代に、過去の差別の歴史を思い出させてくれたという意味では映画を超えた価値もあると感じました。

彼女たちがどうなったのかを書くとネタバレになってしまいますが、事前にどういう人物か知った上で観ても楽しみは減らないと思うので、興味のある方はKatherine G. Johnson、Dorothy Vaughan、Mary Jacksonの3人についてWikipediaを読んでみても良いと思います。

差別の歴史に全く興味がない人、単純な娯楽として観る人にとってはつまらないと思いますが、差別の歴史を知っておく意味で今観る価値のある映画ですのでオススメです。(日本公開日未定だけど)

では、最後に序盤までのあらすじです。

あらすじ(序盤まで)

1961年。キャサリン、メアリー、ドロシーの三人はNASAの計算チームで働いていた。しかし計算チームと言っても有色人種だけで構成され、隔離されたビルに位置する部門だった。(※前述のとおり実際のNASAは1961年時点で差別撤廃済み)

3人は近所に住んでいたので毎朝同じ車で通勤していた。しかしある日の通勤途中、トラブルで車が動かなくなってしまう。そこに現れた警官は黒人である彼女らを無碍に扱おうとするが、彼女らがNASAで働きロシアの衛星の脅威からアメリカを守っていると知ると、パトカーで彼女らを先導しNASAまで送り届けるのだった。

子供の頃から数学に長けていたキャサリンは有色人種として初めてスペース・タスク・グループに配属される。しかし、同僚の白人男性たちは彼女のことをよく思わなかった。リーダー格のポールからはいじめとも取れる無茶な仕事を振られ、彼女がオフィスにあるコーヒーポットを使うと次からは「COLORED(有色人種用)」と書かれたポットを置かれた。さらに、問題なのはこのスペース・タスク・グループが置かれている建物には有色人種用のトイレがなく、キャサリンがトイレに行くには1km近く離れた有色人種用の建物に行かなければならないのだった。

メアリーは異動でロケット開発チームに合流することになる。ここでメンターとも言えるポーランド人上司の指導を受け、メアリーはエンジニアとしてより活躍するためポジションに応募するが、有色人種チームのボスでもある白人女性ミッチェルに応募するためには白人の学校に行かないと手に入らない学位が必要と言われる。これに怒るメアリーだったが、難しいことを承知で学校に志願する。

ドロシーは有色人種チームを束ねる実質的なスーパーバイザーだったが、発令上のスーパーバイザーはあくまでミッチェルでドロシー自身にそうした職位はなかった。これが差別によるものだと分かっていたが、ドロシーにはどうしようもできなかった。ある日、IBMのメインフレームがNASAに導入されているのを知ったドロシーは自分たちの計算の仕事がメインフレームに取って代わられることを察し、こっそりとメインフレームについて学び始める。

キャサリンたちは休日に教会のイベントに参加した。そこで、未亡人のキャサリンに対して、メアリーとドロシーは軍人のジムを引き合わせた。キャサリン自身もジムのことを気になってはいたが、特にアクションを起こせていなかった。二人きりになったキャサリンとジムだったが、ジムは女性がNASAで働き計算をしていることを否定するような発言をしてしまう。キャサリンはこれに憤り、うまくいかなかった。