ゲインオーバー

MUGA, I am.

『ペット / Secret Life of Pets』は『ズートピア』とは全く違う映画でした


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ペットを無責任に飼ってはいけないとかペットにも動物としての本能があるとか、何かテーマがあるわけでもなく、ある一日のペット達の冒険が描かれているだけです。敢えてそういう風に作っているのでしょうが、頭空っぽで観て夢もつめ込まれないパターンです。ただ、それが良いという解釈もありかなと考えつつ、ネタバレありの感想を。

ペットである意味とは

人間、特に飼い主は終始蚊帳の外で、ペットを捕まえようとする保健所の職員が敵として描かれるくらいです。冒頭のシーンで、主人公マックスはご主人ケイティが朝家を出て夜帰ってくるまで何をしてるか分かっていません。ケイティは完全に家に仕事を持ち込まないタイプなのかな?それはそれで凄いことなんだけど、仕事に行ってるくらい分かっていた方が二人の絆の強さをより表現できそうと冒頭から疑問が浮かびます。

で、この絆というのが本作では結局描かれません。ただの動物ではなくてペットなんだから人間、飼い主との関係性を表現してもいいもんですが、マックスはただケイティが大好き、ケイティもマックスが大好きで終わりです。いや、ケイティはよく考えたらマックスが好きという描写もなくて、ただの犬好きにしか映っていません。

もう一人の主人公であるデュークは、道に迷って保健所に入れられてからケイティに拾われる前のご主人に会いに行くイベントが発生します。「元ご主人は元気かなあ」くらいの軽い気持ちで家を訪れるのですが、その家には見知らぬ家族が住んでいて元ご主人が死んでいることを知って悲しみ取り乱します。

そうそう、こういうのがないと絆が分からないよねって思ったのも束の間、保健所の職員に見つかってその悲しみが中断。そこからまた追いかけっこが始まってしまいその後、元ご主人の死を振り返ることは一切ありません。それだったら元ご主人死ななくてよくない?田舎に引っ越したくらいマイルドでもよくない?犬死とはこのことか。

と、ペットと飼い主の関係性についてきちんと描かれないまま物語は終わります。過去に飼い主に捨てられたペット達がNYの地下で暮らしていてギャング化しているのはいいんですけど、その彼らも人間への恨みが微妙だし郎党を組んでいるだけで実はほとんど活動してないんじゃないかという。

こんな感想を抱きながらペットじゃなくて良いのではないかと考えていて気がついたのですが、この映画には人間の子供が主要な役柄では出てきません。マックスとデューク以外のご主人も基本的には大人。これはひょっとして子供の代替としてペットが用いられているのかな。

そう考えると、大人、親の居ない一日に子供たちが大冒険をして、ワルガキ達と追いかけっこをして、みんなで悪い大人(本当は全く悪くない)と戦って最終的にはみんなで友情を育むというのは普通の少年映画になり得る展開です。あまりに普通ですが。

ただ、今時これを人間でやると登場人物の背景や大人を無視するのが難しい気がします。純粋に楽しめないというか、どうしても普通以上を期待して何かを求めてしまうというか。

と、ここまで考えて普通の少年映画をやるためにペットを拝借したのだなという結論に至りまして、ペット(子供)と飼い主(大人)の絆はさておき冒険を描いたものとして、アリだと思いました。善意的に解釈しすぎな気もしますし、とは言え特段良い映画でもないのでズートピアとは異なり人にオススメしませんが。。。あ、一つだけヒロインのギジェットの声(英語版)が良い感じです。