読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ゲインオーバー

MUGA, I am. 映画のことや英国のこと、加えてゲームやテクノロジーも。気になることを気侭に記していくブログです。

ダフト・パンクの今までに迫ったドキュメンタリー「Daft Punk Unchained」感想




dpunchained
Daft Punk Unchainedを視聴できましたので感想を書いていきますよ!

そもそもDaft Punkって

僕の一番好きなアーティストです。というのは置いといて、フランス出身のトーマ・バンガルテルとギ=マニュエル・ド・オメン=クリストから成る二人組で、音楽ジャンルとしてはエレクトロやハウスに入るアーティストです。ロボット風のフルフェイスのヘルメットを被った姿を見れば、音楽に疎い人でもああこれかとなるのではないでしょうか。

代表曲だらけですが、松本零士が手がけたPVが話題になった「One More Time」、独特のサンプリングボイスが繰り返される「Technologic」、グラミー賞を取った「Get Lucky」などはあまりにも有名です。

ちなみにトーマはStardust、ギ=マニュエルはLe Knight Clubという別名義でも曲をリリースしているので、まだ聴いたことのない人は是非。特に、StardustのMusic Sounds Better with Youは色褪せないです。

最新作は「Random Access Memories」で、過去作はYouTubeで聞けます。

Daft Punk Unchainedは関係者のインタビューで構成される

Daft Punk Unchainedは1時間のドキュメンタリー番組で、Daft Punkの2人が最初に始めたDarlinというロックバンドから、Get Luckyがグラミー賞を取るに至るまでを、関係者へのインタビューを繋ぎながら、時系列で追っていきます。

出会った時にとてもシャイなフランス人2人組だったのが印象的だとか、日本に行った時に打ち合わせの前にわざわざ変なコスチュームを買いに行ったとか、2人の性格面も証言で語られているのが面白く、ロボット2人組というアイコニックな扱われ方の方が多いので新鮮な情報でした。

個人的には、Da Funkリリース後のアメリカでのライブで、ターンテーブルからケーブルを抜いてわざとノイズを音楽に乗せていて天才だと思ったという話が刺さりました。Alive 1997でも音にノイズを乗せていますが、ノイズミュージックもそれなりにメジャーになった今では何とも思いませんが、それが天才だと思われる時代があったことに少し感動しました。

カニエ・ウェストファレル・ウィリアムスナイル・ロジャース、スクリレックスのインタビューもあって、彼らにDaft Punkがとても評価されていることが分かりますし、Daft Punkは既に一時代を築いたアーティストなんだなあと改めて思いましたね。カニエは「ダンスミュージックを進化せたのはDaft Punk」とも語っていました。

それから、スパイク・ジョーンズ、ミッシェル・ゴンドリー、松本零士のPVにも触れられます。スパイク・ジョーンズのインタビューは無しで、松本零士インターステラ5555製作時のコメンタリーのようでしたが、Daft Punkが人気を得る過程でPVも重要な役割を果たしていたことが推し量られます。

全編を通して面白かったエピソードが次の2つ。デビューとコーチェラ・フェスティバル

デビュー時の契約について

Da Funkのリリース後、Daft PunkはVirginレコードと契約することになるのですが、その時に楽曲の権利にとてもこだわり手放さなかったことが語られています。曰く、彼らはビジネスが分かっていた。Wikipediaにもこれに関しての2人の発言が紹介されています。

Bangalter spoke of the duo's decision to sign with Virgin: Many record companies offered us deals. They came from everywhere, but we decided to wait—partly because we didn't want to lose control of what we had created. We turned down many record companies. We weren't interested in the money, so we turned down labels that were looking for more control than we were willing to give up. In reality, we're more like partners with Virgin.[19] With regard to the artistic control and freedom, Bangalter stated: We've got much more control than money. You can't get everything. We live in a society where money is what people want, so they can't get the control. We chose. Control is freedom. People say we're control freaks, but control is controlling your destiny without controlling other people. We're not trying to manipulate other people, just controlling what we do ourselves. Controlling what we do is being free. People should stop thinking that an artist that controls what he does is a bad thing. A lot of artists today are just victims, not having control, and they're not free. And that's pathetic. If you start being dependent on money, then money has to reach a point to fit your expenses.[19] Daft Punk - Wikipedia, the free encyclopedia

自分たちの音楽の権利を守りたい思いがストレートに書かれていて、反体制という気概も伝わってきます。当時テクノやダンスミュージックはカウンターカルチャーだったでしょうし、こうなるのも納得です。また別のくだりで、テクノはアンチスターシステムで、顔を隠すのが文化だったと語られている場面もあり、メジャーになってもなお顔を隠し続けるDaft Punkは自分たちの信条を強く持っているのかなと。引っ込みがつかなくなった可能性ももちろんありますが。

2006年コーチェラ・フェスティバルでの復活

2001年にリリースした「Discovery」が爆発的に売れ、One More Timeも大ヒットしてから、次のアルバムを出すのに4年待つことになります。満を持して登場したのが「Human After All」だったのですが、これは「Discovery」と全く異なるテイストの作品で、評価が完全に分かれます。体感として、当時は否定的な意見の方が多かったような気がします。

しかも、リリースにあたって特にプロモーション活動を行わず、Daft Punkからのコメントもほとんど無しで沈黙を守ることになりました。また、エレクトロマという映像作品が2006年に公開されるのですが、これは本来「Human After All」のPVとして予定されていたのですが、結果として映像作品でのリリースとなりました。この理由は本編では語られませんでしたが、「Human After All」の売れ行きや評価等も多分に関係していたのではないかと思われます。

そんな経緯もあり、Daft Punkに一瞬の陰りが見えた時期があるとすれば、この時期なのですが、これで終わりません。2006年のコーチェラ・フェスティバルに参加することが決定。それまで何年も世界中の夏フェスに声を掛けられていたけどずっと拒否し続け、コーチェラもそれまでずっと打診していましたがNGという状況が続いていました。2005年に250,000ドルのオファーを断り、2006年に300,000ドルとなったところでOKしたようです。コーチェラ参加への詳細な理由は明らかにされませんでしたが、間違いなく本人たちの希望としても商業的にも復活を目指してのことだったと思います。

そして、コーチェラへの出演準備にあたって、通常アーティストに出演料のいくらかは事前に支払われるのですが、Daft Punkはその増額を要求。コーチェラのライブ演出にお金が必要というのが理由で、これに成功し準備を始めるDaft Punkですが、秘密主義を貫き、エンジニアスタッフ以外は実際にどういったものができるのか知らなかったそうです。それで完成したのがこちら。

通常、ライブとライブの間隔が30分のところ、Daft Punkは客を1時間待たせてこのステージを設置しライブを始めたそうです。中央のピラミッドを中心とした大掛かりなステージ、ライトと演出は類を見ません。LEDが大量に使われているのですが、こういうアイディア自体が2006年当時はまだなく初の試みで、LEDを調達するところから始めたとか。このパフォーマンスにかける意気込みが伝わってきます。

その後、世界各地でもこのピラミッドパフォーマンスが行われ、日本だと2007年のサマーソニックでプレイされました。私はサマソニに行きましたが、いやもう最高でしたね。事前情報で分かっていましたし、コーチェラのパフォーマンスを録音していたものがWebで出回っていたので既に聴いていたのですが、それでも圧倒的な演出にやられました。今でもLEDスクリーンに流れる映像と、会場の熱気、下腹を突き刺す重低音が鮮烈に思い出されます。

このコーチェラ・フェスティバルでのライブが伝説となり、現在まで続くEDMブームの引き金となったとも語られています。スクリレックスもインタビューの中で、Daft Punkのライブが見たくてチケット探して何とか観ることができた喜々として語っていますし、影響を受けたことを述べています。

こうしてコーチェラでのパフォーマンスで復活を遂げ、この後トロン:レガシーのサントラ、Get Luckyに繋がるのです。

Daft Punk Unchained

Daft Punkに関する情報はWeb上に広く転がっているので、それらを追っていけば知ることのできる情報が多く、このドキュメンタリーならではの情報は少ないのかもしれません。しかし、1時間というサイズでDaft Punkの歴史を振り返ることができる非常に良い作品だったのではないかと思います。同時に、ドキュメンタリーで振り返った時に、絶えず進化を続け新しい方向に進んでいくDaft Punkの凄さを改めて感じました。ソフト化されたら買っちゃうかもなあ。

英語ですが、次の記事にUnchainedで扱われた内容が概ねまとまっています。 10 things we learned from Daft Punk Unchained | Music | The Guardian