ゲインオーバー

MUGA, I am.

アウトプット(笑)から(笑)を取るために

誰も教えてくれない人を動かす文章術 (講談社現代新書) 誰も教えてくれない人を動かす文章術 (講談社現代新書)
齋藤 孝

講談社
売り上げランキング : 851

Amazonで詳しく見る

インプット(笑)、アウトプット(笑)というのは、「『カタカナ語使ってる俺カッコ良い』はカッコ悪い」というところに端を発するものだとは思うのですが、言い方はともかく何かを書き出す、形にする行為というのは大切なものです。 しかしながら、アウトプットと言うと自己啓発の香りがしたり、自分の考えをドヤ顔で書くことみたいな斜に構えた向きがあるのも事実(というか僕もアウトプット(笑)としばしば思います)。でも、twitterのつぶやき一つとっても立派なアウトプットだと思いますし、人に自分の考えや気持ちを伝えるのだってアウトプットのひとつの形です。 アウトプットするということは日常的に行なっている行為にも関わらず、エッセイやblogなどの長文でまとまったアウトプットとなると身構えちゃうし照れくさいしなんだかなあと言う僕なりにアウトプットへの偏見、先入観をなくしてblogを書くために思ったことを。

※インプット(笑)、アウトプット(笑)と思ったら、インプット=読むこと、アウトプット=書くことに変換しても大体意味が通じるのでそう読み替えてください。

とりあえず続ける。そのための目標を

とりあえず続けるのを目標にすると何故いいのかというと、アウトプットすること自体を目的にするとやっぱり書くものなんです。 気が向いたときに書こうと思っていると2週間後には書かなくなります。過去にもそうしてブログの残骸を築いたことがあります。。。 僕は今、不定期にこのブログを更新して、手書きの日記を毎日つけています。日記については毎日つけることが自然と目標となるので書けるものですが、ブログについては自分の中で読書の感想やブログをいじったことについては絶対に書こうと決めています。 感想でも発見でも何でも良いとは思いますがそうしたもの形にすることを目標にすることも大切だと感じています。

私が重視するのは、文書の書き方ではなく、その「内容」のほうです。「内容」とはすなわち、物事をどう捉えたか、発見は何であるか、ということに尽きます。 発見というのは、なにも「人類史上初の発見」である必要はありません。書き手であるあなたにとっての発見は何なのか、ということです。 P.16

とりあえず続けるという目標、そのための目標と二つ持っていますが、目標は複数あっても困るものじゃありません。

適当に書く

これは僕だけかもしれませんが、まず最初は力を抜いて適当に書かないと続きません。このブログは決して書くのに時間がかかっていないわけではないのですが、書くときはそこまできっちり書かないでいいやと思って書いてます。 いかんせんアウトプットにはまだまだ慣れていないので、最初からフルスロットルにするとおそらく時間が莫大にかかるというのが体感で想像がつきます。そしてきっと投げ出してしまうでしょう。 そうすると続けられませんし、自分で書くのが楽しくなくなってしまうのでそれは避けたいと思っています。 ある程度書けるようになってきて書く時間も掛からなくなってきたら、もっと良い文章を書きたいなどと思ったら、文章術の本を読んでテクニックを学んで克服していけばいいんだと思います。 まずは続けるために適当に。継続は力なりなんて古びた言葉もありますが、力にならなくても続けてみたら何か変わるかもねくらいの気持ちで気楽にやっています。

それから適当に書くことで自分の中でのドヤ顔感が減るのは気持ち的に重要です。アウトプット(笑)の根源って書き手のドヤ顔が想像できるところにもあると思うんです。 よっぽど自信あるときは別としてそれを出さないようにすることでアウトプット(笑)って人に思われないようにするのではなく、自分でそう思わないようにしてアウトプットへの考えを変えていきたいです。 それにドヤドヤ、おらおらって感じで書くと何も返ってこないときやアクセス数がそれほどでもないときに案外凹みます。twitterでドヤ顔ポストがふぁぼられないみたいなものですね。

先んじてインプット

アウトプットは出すわけで、無いものを出すことはできません。僕のインプットはもう枯渇気味なのでこれはピンチです。 なので本を読んだりよそのblogを読んだりする時間をちゃんと取るようにしています。映画やイベントなんかももうちょっと行かないとな。。。 インプットが足りないとは常日頃感じているのですが、『誰も教えてくれない人を動かす文章術 (講談社現代新書)』で参考になったのは、インプットする時にアウトプットすることを前提にしておくということです。

しかし「書く」という作業を前提として学ぶと、インプットの仕方や気構えは驚くほど変化します。 その知識、ネタが外にあるもの、他人のものであっても、いったん自分で文章にまとめることで、自分で活用できるネタにしてしまうことができるのです。さらにそこに、あなた自身の知識や経験を絡めていくと、他人の論だったものが換骨奪胎されて、自分自身のオリジナルなネタになってしまうのです。これこそが能動的知識です。 P.29-30

この一節を読んでからはこのblogに書くことを前提にして書いたのですがなるほど面白いですね。読みながらblogを書くことと絡めてこの本について書こうと思ったら割とすんなり書けました。 アウトプットありきのインプット。

アウトプット(笑)から(笑)を取るために

まだまだblogの更新回数は少ないですが、実際にアウトプットしてみることで必ずしも(笑)が付くものではないんだと実感を持てるようになりました。 ドヤ顔がにじみ出ている、意識の高そうなものを見ると(笑)と思うことは確かにありますがそれは何というかもう仕方がないことです。 アウトプットという行為そのものは悪くありませんし、考えを整理するためにやる必要がある行為のはずです。言葉にとらわれずにまずやってみることなんだなと学びました。

15分あったらブログを書こう。 - かみんぐあうとっ これも齋藤孝さんの別の本からのアウトプット話で参考になります。

この記事でアウトプットと書いた回数が去年一年で書いた、口にした回数を大幅に上回っているような気がしてなりません。